
作曲家から生き方を学べる人間に
音楽を学ぶ一番の目的はなんでしょう?コンクールに入賞して、沢山演奏活動が出来る演奏家になることでしょうか?それはそれで素晴らしい事だと思います。しかし今の日本でそれだけで生きて行くのは至難の業です。では、音楽を学ぶ本当の意味とはどこにあるのでしょうか? 偉大な作曲家達は何故生涯にわたり、作品を残し続けたのでしょうか?
ある作品を学ぶという事は、その作品を通じて作曲家と向かい合い、共感し、作曲家の生き様から大切なものを感受することではないでしょうか?
当アカデミーが一番大切にしているのは、作曲家の魂です。そのためには、単にピアノが上手くなるだけでなく、幅広く文化全般を教養として身につける事が大切だと考えます。そして音楽以外の分野の専門家との交流を体験することにより、人間として何を学ぶべきかを考える場を提供したいと思います。

当教室の特色
音楽を学ぶ一番の目的はなんでしょう?コンクールに入賞して、沢山演奏活動が出来る演奏家になることでしょうか?それはそれで素晴らしい事だと思います。しかし今の日本でそれだけで生きて行くのは至難の業です。では、音楽を学ぶ本当の意味とはどこにあるのでしょうか? 偉大な作曲家達は何故生涯にわたり、作品を残し続けたのでしょうか?
ある作品を学ぶという事は、その作品を通じて作曲家と向かい合い、共感し、作曲家の生き様から大切なものを感受することではないでしょうか?
当アカデミーが一番大切にしているのは、作曲家の魂です。そのためには、単にピアノが上手くなるだけでなく、幅広く文化全般を教養として身につける事が大切だと考えます。そして音楽以外の分野の専門家との交流を体験することにより、人間として何を学ぶべきかを考える場を提供したいと思います。
教える側の問題点
<特に日本では教える側の問題も多々あるように思われます。コンクールに沢山の生徒を入賞させるのが良い先生だと思われがちです。中にはプロフィール等で、どのコンクールで審査したとか、どのコンクールに生徒を入賞させたとかまで書いているのも見かけます。 確かに先生の能力の一部として、これは大変重要だと思います。少なくともこの時代に順応すべく生徒を導くのですから。そしてその裏には生徒本人、ご家族、先生の凄まじい努力や想いがあると思います。 そしてその指導方法はセミナーや公開レッスンを通じて正しい事として他の先生方にも伝えられます。 それに加え、やはり音楽の世界も実力主義です。 早い段階からコンクールなどで自分の力の限界や、他人に負ける悔しさを味わうのも人生において大切な勉強なのでしょう。 しかし言うまでもなく、音楽で勝ち負けを争うのは作曲家への冒涜以外の何物でもないのです。 作曲家が命を削り、人生をかけて書いた曲を、私たち音楽を愛する者が、本来音楽家が最も嫌う争いの場に使ってしまうのは、本当に矛盾を感じます。挙句の果てに、どのコンクールではこの曲が有利だとか、コンクールではこう弾いた方が良いとか、時間の都合で途中でカット!などと、作曲家がもし生きていたらどう思うでしょう。 もちろん全ての先生がコンクール用のレッスンをしているとは思いませんし、コンクールだからと言って、特別なレッスン形態をとっているとは限りません。しかしコンクールを聴く限り、演奏者の価値観はいかに自分を表現するか、いかに綺麗に見せるかとの能動的な演奏ばかりが目立ち、演奏者が本当に心から音楽に感動している受動的な演奏にはあまり出会いません。 もちろん、日本人のテクニックは世界でも相当高く、好んで言われるように日本人には個性がない等はもう過去の事だとも思います。しかし、優れたテクニックや音楽性があるにも関わらず、心から感動する演奏になかなか出会えないのは何故なのでしょうか。 特に日本では教える側の問題も多々あるように思われます。コンクールに沢山の生徒を入賞させるのが良い先生だと思われがちです。中にはプロフィール等で、どのコンクールで審査したとか、どのコンクールに生徒を入賞させたとかまで書いているのも見かけます。 確かに先生の能力の一部として、これは大変重要だと思います。少なくともこの時代に順応すべく生徒を導くのですから。そしてその裏には生徒本人、ご家族、先生の凄まじい努力や想いがあると思います。 そしてその指導方法はセミナーや公開レッスンを通じて正しい事として他の先生方にも伝えられます。 それに加え、やはり音楽の世界も実力主義です。 早い段階からコンクールなどで自分の力の限界や、他人に負ける悔しさを味わうのも人生において大切な勉強なのでしょう。 しかし言うまでもなく、音楽で勝ち負けを争うのは作曲家への冒涜以外の何物でもないのです。 作曲家が命を削り、人生をかけて書いた曲を、私たち音楽を愛する者が、本来音楽家が最も嫌う争いの場に使ってしまうのは、本当に矛盾を感じます。挙句の果てに、どのコンクールではこの曲が有利だとか、コンクールではこう弾いた方が良いとか、時間の都合で途中でカット!などと、作曲家がもし生きていたらどう思うでしょう。 もちろん全ての先生がコンクール用のレッスンをしているとは思いませんし、コンクールだからと言って、特別なレッスン形態をとっているとは限りません。しかしコンクールを聴く限り、演奏者の価値観はいかに自分を表現するか、いかに綺麗に見せるかとの能動的な演奏ばかりが目立ち、演奏者が本当に心から音楽に感動している受動的な演奏にはあまり出会いません。 もちろん、日本人のテクニックは世界でも相当高く、好んで言われるように日本人には個性がない等はもう過去の事だとも思います。しかし、優れたテクニックや音楽性があるにも関わらず、心から感動する演奏になかなか出会えないのは何故なのでしょうか。 もしかしたらそれは、感受性と、価値観と、美意識と、生き様なのではないかと思います。作曲家の魂を受け取る感受性、何が正しいのか本質を見極める価値観、本当に美しいものは何なのかを求める美意識、そして生きて行くのさえ過酷な時代に、作曲家達が生き貫いた凄まじい人生や、苦悩に満ちながらも音楽を極める強靭な精神に支えられた生き様。 つまり、作曲家は何を見、何を感じ、何を求め、そしてどう生きたのかを、教える側も、もっと真剣に考えないといけないのではないでしょうか。その為には、表面的なタッチの変化やペダリング、アナリーゼなんて全く役に立たないと思います。 音楽は作曲家が身を削って産み出したものであって、演奏家が自己主張するための道具ではないのです。 音楽を学ぶ一番の目的はなんでしょう?コンクールに入賞して、沢山演奏活動が出来る演奏家になることでしょうか?それはそれで素晴らしい事だと思います。しかし今の日本でそれだけで生きて行くのは至難の業です。では、音楽を学ぶ本当の意味とはどこにあるのでしょうか? 偉大な作曲家達は何故生涯にわたり、作品を残し続けたのでしょうか? ある作品を学ぶという事は、その作品を通じて作曲家と向かい合い、共感し、作曲家の生き様から大切なものを感受することではないでしょうか? 当アカデミーが一番大切にしているのは、作曲家の魂です。そのためには、単にピアノが上手くなるだけでなく、幅広く文化全般を教養として身につける事が大切だと考えます。そして音楽以外の分野の専門家との交流を体験することにより、人間として何を学ぶべきかを考える場を提供したいと思います。